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◎
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日本が誇れる舞台芸術のひとつが「能」です。
謡(うたい)は、能のせりふとコーラスの部分を独特な節でうたうものです。
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演能形式のいろいろ |
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一曲全てを演じること以外に、
「袴能」(はかまのう)装束をつけずに紋付き袴で演じる。
「半能」(はんのう)一曲の後半だけを演じる。
「番囃子」(ばんばやし)紋付き袴で座ったまま全曲を謡う。お囃子がつく。
「舞囃子」(まいばやし) シテ1人の部分を着物で舞う。ワキ・ツレ部分の謡いは地謡の中の1人が謡う。

「素囃子」(すばやし)お囃子方だけで、奏する。
「素謡」(すうたい) 座ったまま全曲を謡う。お囃子はない。

「独吟」(どくぎん)ひとりだけで謡う。
「連吟」(れんぎん)二人以上、どちらも、座って、謡のいい部分を謡う。
「仕舞」(しまい) 能の舞の中から特に見場のいい短い部分をお囃子無しで着物で舞う。

「一管」(いっかん)笛1人で囃子ぶぶんを奏する。
「一調」(いっちょう)打楽器1人と謡1人で、打楽器のいい部分を奏する。etc
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能のはじまりは?
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猿楽がルーツです。南北朝時代から室町時代初期にかけて発達し、江戸時代におよそ完成しました。
南北朝時代は、大和猿楽と近江猿楽が有名で、大和猿楽の4座が、今の金春流・金剛流・宝生流・観世流になります。
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発展の為のダントツの、功績者は? |
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結崎座(後の観世座)の観阿弥(かんあみ)、世阿弥(ぜあみ)は、時代の最先端を行くアーティストでした。能を高度な舞台芸術に育てたのはは世阿弥の功績です。 |
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◎
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能を好んだ為政者は?
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足利義満により京都へ進出でき、 豊臣秀吉は、まさに、はまり、自分で舞台に立つほどになりました。
江戸時代になると幕府直接の支配下に入り、武家の式楽として保護され、技法は高度になっていきます。
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能の最大のピンチだった時は? |
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明治維新(保護が無くなったためです。よくぞ残りました) |
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現在の保護政策は? |
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重要無形文化財 ユネスコ世界無形遺産(2001) |
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能の主人公たち? |
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神様、幽霊、鬼、生き霊、物の怪、物狂い、天人、美人、超人に会えますよ。 |
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夢幻能って? |
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ワキ(実在の人物)が、ある所で、シテ(化身)に出合う。シテはその場所にまつわる話をして、本性をほのめかして消える。(ここまでが前半「中入(なかいり)」)
待っていると本性の姿でシテが登場し、事の次第を話したり、舞を舞ったりする。パターンの能をいいます。 |
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能の数? |
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現行演目は、だいたい250曲ほど。本文だけなら2000曲ほどが残っています。曲目一覧を参考にしてください。 |
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観阿弥の作った有名作 |
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「松風」「通小町」「卒塔婆小町」「自然居士」 |
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能の面(おもて) |
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おおよそ60種類位。翁面、尉面、鬼神面、怨霊の面、女面、男面、特殊な面。直面(ひためん)とは、面ではなく、人間の顔のままのことをいう。 |
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◎
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世阿弥の作った有名作 |
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「老松」「高砂」「弓八幡」「敦盛」「忠度」「清経」「頼政」「実盛」「井筒」「檜垣」「西行桜」「融(とおる)」「鵺(ぬえ)」「恋重荷」「砧」「班女」「花筺」 |
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◎
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曲の種類? |
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江戸時代の頃は一日五番というプログラムが普通でした。この五つの番組編成の必要もあり、(1)脇能物(神や霊の夢幻能)(2)二番目物(武士の霊の夢幻能)修羅物ともいう。
(3)三番目物(美しい女性や優美な貴公子の夢幻能など)鬘物ともいう。(4)四番目物(1と2と3と5以外の能)(5)五番目物(鬼や天狗や超越したものが出てくる能) |
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足利義満と観世流 |
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応安7年(1375)頃、観阿弥が12歳になるわが子の世阿弥と催した猿楽能を、17歳の義満が見物し、以降絶大な庇護を受けることになりました。 |
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想像力豊かな方はより楽しめます |
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動きは最低限、派手な大道具も仕掛けもなく…しかし頭の中に描いてください。満開の桜、戦争の苦しみ、人間の業、異世界へ旅立てます。 |
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